日语论文网 特别专题 日语论文写作经验:卒業論文心得 岩山泰三

日语论文写作经验:卒業論文心得 岩山泰三

卒業論文心得

冬休みが近づいてきましたが、皆さんはこれから卒業論文のことを真面目に考えなければなりません。しかし、卒論をどのように書けばよいか、よく分からない人が多いようですので、ここで基本的な注意点だけ説明しておきたいと思います。
まず、卒業論文は何のために書くのでしょうか。簡単に言えば、研究能力を身に付けるためです。研究能力とは、自分で問題を見つけてそれに関するデータを集め、解決に導くための能力と言い換えることができます。これは学者や大学の先生だけが必要とするものではありません。社会に出て、さまざまな問題に出会ったとき、それを乗り越えていくための基本的な能力です。日本語ができるだけでも通訳などの仕事をする機会は多いでしょうが、それは人に使われる「道具」としての仕事です。日本語科の卒業生は人の「道具」になるだけでなく、中日間にあるいろいろな問題を解決できる人材になってほしいと思います。研究能力とはそのために必要な能力です。
しかし、今までの勉強はほとんどが知識の受け売りを主とするものでした。そのためか、今まで書かれた卒業論文を見ても、他の人が書いた論文の内容をまとめただけのものが目立ちます。ひどいのになりますと、インターネットに載っていることをそっくりコピーして、「一日で卒論を書いた」と自慢している人がいます。今までそういうものを見るたびに怒りを覚えていました。ただ、日本の大学では三年生から四年生の頃に研究のための授業が行われていますが、ここではそれがありません。それまで受け売りの勉強ばかりしていた人が、急に卒論を書いても、研究の仕方など分からず、受け売りに終わってしまうのはある程度仕方ないでしょう。ですからここで、そうならないための最低限の心得を述べておきたいと思います。

1.一次資料と二次資料

卒業論文の準備として、まず資料集めから始めなければなりません。資料には大きく分けて二つの種類があります。それをここでは一次資料と二次資料と名づけておきます。
まず二次資料から説明しましょう。総じて「研究」の過程を経て生まれた考えをまとめたものをここでは二次資料と呼びます。いわゆる論文がその代表です。また講義用のテキストや解説書なども研究の結果得られた考えを中心とするものなので、それに準じるものといえます。
一次資料は「研究」の過程を経ていないデータを指します。研究の素材となる資料とも言えます。文学の研究においては、文学作品が一次資料、その作品についての論文が二次資料です。言語の研究においては、社会に存在する「ことば」が一次資料となりますが、これはそのままではとらえにくいので、文学作品や視聴覚資料に使われている言葉や、アンケート調査などによってまとめられた言語資料なども一次資料として扱います。文化・社会・経済などの研究では何を一次資料とするか、更にとらえにくくなります。伝統的な文化の場合は文学作品の中で扱われることも多く、また茶道や武士道についての思想をまとめた『南方録』『葉隠』などのような本もありますので、これらを一次資料としておきましょう。現代の社会や経済などの場合は、政府が発行している白書などの資料や、新聞やインターネットの記事なども一次資料としてよいでしょう。これらの資料にも作者の考えによってまとめられたものが多くありますが、それらは「研究」の過程を経たものとは言えないので、二次資料とは区別されます。
資料集めは普通二次資料から始まりますが、二次資料を読めば、どのようなものが一次資料になるかということも分かってきますので、読みながら何を一次資料にすればよいか考えて、それを集めていくようにしましょう。そして、実際に卒業論文を書くとき一番大事なことは、一次資料を中心にして書くことであり、二次資料はそのための補助として使うものだということです。
文学作品をテーマとする場合は、作品を読まずに二次資料だけ読んで卒業論文を書いているような人はあまりいません。しかし、その他の分野では、二次資料だけ読んで書いている人がかなりいるようです。二次資料の中にも一次資料が引用されていますが、それは筆者が自分の考えを述べるために適当な部分だけが選ばれており、全体が一つの結論を出すためにまとめられているので、それだけ読んでいると、その筆者と違う考えを書くことは困難です。あくまで一次資料をみて自分で考えることを中心にしなければなりません。
ただ、二次資料、特に論文を読むことも大切です。何のために論文を読むのでしょうか。まず、どのように研究すればよいかという研究方法を学ぶためです。先に述べた、何を一次資料にすればよいかということもその中に含まれます。それから、論文の考えをヒントにして、新しい自分の考えを展開させるためです。更に、その論文が十分述べていないことを考えたり、論文の内容を批判したりするためです。これらのことは、論文を読んだ後、一次資料を自分でまとめてみないとできません。研究方法を学ぶ場合でも、その方法を自分で探した資料に適用すべきです。例えば、日本の小説やドラマとその英語の翻訳や字幕とを比較するような論文がよくありますが、それを読んだ後、自分で選んだドラマの日本語と中国語の字幕を比較してみるというようなことです。

2.注と引用

調べた資料を卒業論文に引用するとき、その資料の筆者や編者の書いている事柄と、自分で考えて書いている事柄は区別しなければなりません。人が書いたものには著作権が存在するからです。そのため、引用した資料には(注)をつけて、その出処をはっきり示す必要があります。ところが、これまでの卒論には(注)が全くないもの、あっても不十分なものがあります。昨年度、「若者言葉について」というテーマの卒業論文を書いた人がいました。彼女が私に相談に来たとき、持ってきた論文の書き出しの部分を引用してみます。

若者言葉について(修正前)
はじめに
若者言葉とは、その時々の若者と呼ばれる人達が使う言葉のことである。なぜ若者言葉は作られ、用いられるのだろう。それはその時代の若者の今という瞬間が映されており、社会や文化全体の鏡にもなっているからである。若者言葉は仲間同士の連帯を深めるという重要な役割を持っている。ここでは、若者言葉の特質について、仲間言葉としての効能、程度強調語、ぼかし言葉の三つの側面から考えてみたい。

一 仲間言葉の効能
若者言葉は仲間同士の連帯を深めるという役割、つまり仲間言葉としての効能を持つ。特に中学生や高校生たちが仲間うちで使う言葉には、話題の中身を深く掘り下げることよりも、おしゃべりそのものを楽しむことが目的であることが多い。おしゃべりをして、仲間にウケることが大事であり、仲間のノリに合わせること、あるいはそれから少しずらすことが、おしゃれな仲間言葉のようだ。ときに毒のある言葉には、かれらを支配し、操ろうとする教師や親などに対する対抗意識、反発意識が潜んでいるのかもしれない。しかし、その意識は直接的に教師や親に向けられることはなく、自分たち仲間うちでのみ、うっぷんをはらしたり、教師や親を茶化し(だます)たりするために使われる。
たとえば、「きもい」「きしょい」「うざい」などのように、短縮化した形の形容詞が増えている。「けむたい」が「けむい」となったり、「めんどうくさい」が「めんどくさい」になり、さらには「めんどい」となると言った具合である。
「きもい」は「気持ち悪い」、「きしょい」は「気色が悪い」が短縮化されたものであるが、「気持ち悪い」や「気色悪い」と完全に同じ意味だとは言えないようである。たとえば胃がむかつくときに「気持ち悪い」と言うが「きもい」にそのような使い方はなく、「あいつ、かっこつけすぎてマジきもい」のように、人やモノから不快な気分を感じたときに使う。「きしょい」も実際に吐き気を催す場面な時に使いにくく、言いようのない不快感を催す人やモノに対して使われる。「それマジできしょいなあ」とか「それってチョーきしょくない?」など、自分の感覚と合わずに違和感を感じるといった程度でも使われるようである。また、「うざい」は「うざったい」からできた言葉で、うるさく付きまとわれることに対する不快な気分、不快で関わりたくないと思うような気分を表す。「家の親、チョーうざい」とか「Bちゃんって八方美人なんだよ」「うわーうざい!」のような使い方をする。
その一方で、それほど深い意味なく、ふざけたり冗談を言ったりするときに気楽に使うという若い人もいる。「きもっ!」「きしょっ!」うざっ!のように感嘆詞として使うときは、さらに気楽に使えるようである。
いずれにしても、短縮化された若者語は、悪い意味を表すものが大半で、よい意味を表すものはほとんどない。悪い意味に偏って用いられるのは、隠語めかした使い方をすることによって禁忌を犯す楽しみを味わうといった心理が働いているためかもしれない。あるいは、冗談めかして言うことで、そのものズバリと表現するよりも気楽に言えるためなのかもしれない。どちらの要素も入っているように思われる。
(以下略)

上の文章を見ると、全く(注)がありません。(注)がないということは、ここに書いてあることがすべて自分の体験や調査による、自分の考えであると言っていることになります。しかし、これだけの内容をすべて自分一人の考えで書ける人は、日本の学生でもほとんどいないでしょう。そのため、もしかすると、この文章はすべて他人の論文を写しながら、それが自分の考えであるかのように書いているのではないかという疑問を感じさせます。これを書いた学生に問いただして見ると、やはりその通りであると認めました。そこで、次のように書き直させました。「  」をつけた箇所に注意してください。

若者言葉について(修正後)
はじめに
若者言葉とは、その時々の若者と呼ばれる人達が使う言葉のことである。なぜ若者言葉は作られ、用いられるのだろう。山口奈緒子は、「それはその時代の若者の今という瞬間が映されており、社会や文化全体の鏡にもなっているから」で、また「若者言葉は仲間同士の連帯を深めるという重要な役割を持っている」からだという(注1)。ここでは、若者言葉の特質について、仲間言葉としての効能、程度強調語、ぼかし言葉の三つの側面から考えてみたい。

一 仲間言葉の効能
若者言葉は仲間同士の連帯を深めるという役割、つまり仲間言葉としての効能を持つ。小矢野哲夫は次のように述べている。
特に中学生や高校生たちが仲間うちで使う言葉には、話題の中身を深く掘り下げることよりも、おしゃべりそのものを楽しむことが目的であることが多い。おしゃべりをして、仲間にウケることが大事であり、仲間のノリに合わせること、あるいはそれから少しずらすことが、おしゃれな仲間言葉のようだ。ときに毒のある言葉には、かれらを支配し、操ろうとする教師や親などに対する対抗意識、反発意識が潜んでいるのかもしれない。しかし、その意識は直接的に教師や親に向けられることはなく、自分たち仲間うちでのみ、うっぷんをはらしたり、教師や親を茶化し(だまし)たりするために使われる。(注2)
このような若者言葉の具体例として、北原保雄は「きもい」「きしょい」「うざい」など、短縮化した形の形容詞を挙げている。
「けむたい」が「けむい」となったり、「めんどうくさい」が「めんどくさい」になり、さらには「めんどい」となる。「きもい」は「気持ち悪い」、「きしょい」は「気色が悪い」が短縮化されたものであるが、「気持ち悪い」や「気色悪い」と完全に同じ意味だとは言えないようである。たとえば胃がむかつくときに「気持ち悪い」と言うが「きもい」にそのような使い方はなく、「あいつ、かっこつけすぎてマジきもい」のように、人やモノから不快な気分を感じたときに使う。「きしょい」も実際に吐き気を催す場面な時に使いにくく、言いようのない不快感を催す人やモノに対して使われる。「それマジできしょいなあ」とか「それってチョーきしょくない?」など、自分の感覚と合わずに違和感を感じるといった程度でも使われるようである。また、「うざい」は「うざったい」からできた言葉で、うるさく付きまとわれることに対する不快な気分、不快で関わりたくないと思うような気分を表す。「家の親、チョーうざい」とか「Bちゃんって八方美人なんだよ」「うわーうざい!」のような使い方をする。(中略)その一方で、それほど深い意味なく、ふざけたり冗談を言ったりするときに気楽に使うという若い人もいる。「きもっ!」「きしょっ!」うざっ!のように感嘆詞として使うときは、さらに気楽に使えるようである。(中略)いずれにしても、短縮化された若者語は、悪い意味を表すものが大半で、よい意味を表すものはほとんどない。悪い意味に偏って用いられるのは、隠語めかした使い方をすることによって禁忌を犯す楽しみを味わうといった心理が働いているためかもしれない。あるいは、冗談めかして言うことで、そのものズバリと表現するよりも気楽に言えるためなのかもしれない。どちらの要素も入っているように思われる。(注3)

(中略)

注釈
注1・「若者言葉」山口奈緒子,愈カニ,横山由季子, 内山智絵,翁長瑠
http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/ykawa/2nen2004/groupeA_jp.html
注2・小矢野哲夫「若いモンの言葉と『現代語』」
http://homewww.osaka-gaidai.ac.jp/~koyano/kenkyuuseika/wakaimon.html
注3・北原保雄 『問題な日本語』 大修館書店 2004年12月

自分の考えや調査によるものではない部分には必ず(注)をつけて、それが他の人のものであることが分かるようにすることが、卒業論文を書く上での最低のルールです。どんな短い文でもそうしなければなりません。短い文の場合は(注1)のように、
…は、「それは…いる」からだという(注1)。
のような形式にし、長い文を引用する場合は(注2)(注3)のように、2字下げて写し、末尾に(注)をつけるという形式がいいでしょう。
そして、論文の後の「注釈」に、それらの出処を明記します。書籍の場合は著者名・著作物名・出版社、出版年月を記し、論文の場合は、著者名・論文名・論文が掲載されていた雑誌名(巻や号があればそれも)・発行年月を記します。できれば引用した文のあるページも記すといいでしょう。インターネットの資料の場合は著者名(機関名)、サイトタイトル、サイトURLを記します。更新などがある場合は年月日も記したほうがいいでしょう。
修正前のような論文は、そのままでは完全な著作権侵害になります。引用された文の筆者に分かったら、訴えられて裁判になっても仕方ありません。ほとんどの卒業論文は、大学の中の人しか読まないので、現実に裁判になることは少ないでしょう。それでも犯罪であることに変わりありません。中国社会の問題として、コピー製品が多いことがよく挙げられています。大学生は卒業後社会を指導する立場になる人たちですから、そのような問題を解決する努力をすべきです。そのために、まず卒業論文において著作権を尊重するという努力から始めてほしいと思います。

3.自分の考えを書くために

上に挙げた「若者言葉について」はほぼすべて他の論文の引用だったので、それが分かるように注をつけさせましたが、そのため、修正前と比べ、自分の考えが全くないということがはっきり分かるようになりました。修正前よりは正直だという点で評価できますが、これではやはり恥かしいでしょう。そこで彼女に対して、中国語の場合と比べてどうかということを、色々質問した結果、次のような考えを述べたので、これを書いてその章のまとめとしました。

中国語では「気持ち悪い」は「不舒服」、「めんどうくさい」は「麻煩」に当たる。「不舒服」は短縮化されることはない。「麻煩」は「煩」という短縮化された形があるが、これは「煩」という一字だけで同じような意味があるからである。つまり、短縮されることによって隠語のような働きはしない。その点で上の現象は若者言葉の日本語らしい特色と言えるかもしれない。

一人で書いていると、中々自分の考えが出てこないのですが、人と話し合うとけっこう自分の考えが出てきます。一人で考えているときより刺激が多くなり、問題を色々な面から見ることができて、頭の働き方も活発になるからです。日本の大学ではそのためにゼミという、学生の発表と討論による授業や、学生同士で卒業論文のための研究会を作ることも多いのですが、この大学ではそういうことをやる余裕があまりないようです。しかし熱心な学生は冬休み前から私のところに相談に来て、その後も毎週一回書いたものを持ってきて話し合うようにしていました。一回話し合うだけでも上のような考えは出てきます。それを繰り返せば自分の考えがかなり多く書けるようになるでしょう。ですから指導教師の先生や日本人の先生とできるだけ卒論の問題について話し合う時間を多く持つようにしてください。そのほうが先生も直しやすくなります。今まで五月末の提出日の少し前になって初めて相談に来る学生が多かったのですが、そういう人の卒論はほとんど他人の論文などを写しただけの内容になっています。その時期になると、先生も全体を修正したりする時間はありません。書き始めの時期から、書いたものを少しずつ修正するということを繰り返すようにしてほしいものです。就職活動などで他の都市に長期間滞在したりして、それができない人もいますが、その場合はメールで先生とやり取りしながら相談と修正を繰り返すようにしてください。
上の「若者言葉について」を書いた人は、相談に来たのが締め切り前だったので、結局それほど大きな修正はできませんでした。少しだけ自分の考えを書くことができましたが、まだまだ不十分です。一番問題なのは、(注)に記した資料が二次資料ばかりだということです。やはり一次資料にあたらなければ満足すべき論文にはなりません。上の論文の場合なら、最近の小説やドラマ・映画などを調べたり、アンケート調査をしたりして、若者言葉の用例を自分で集めていかなければなりません。それらを調べていけば、二次資料に書いてあることだけでは説明できないような問題が必ず見つかります。本当の研究はそこから始めるものです。しかしこの大学では、一次資料が中々集められない人が多いという問題があります。その場合はインターネットを利用してもいいでしょう。例えば、グーグルで「きもい」「きしょい」を検索してみると、2007年12月19日の検索結果では、「きもい」が約1780000件、「きしょい」が約133000件ヒットしました(検索結果は時と場合によって変わることが多いので日時も記録しておく必要があります)。これは十分一次資料になりますので、ここから用例を調べることができます。このような言葉はいい意味で使われないので、ここに記すのは気が進みませんが、研究ではそのような個人的感情はおさえなければなりません。そこで、少し用例を挙げておきます。

例1.中学2年生の時からずっと、体育の先生(男性)に「お前、きもい」と言われています。(教育Q&A
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/qanda/consul/20060609wn02.htm 2007年12月19日)
例2.末の娘の反抗期というヤツがやってきた。この年頃の女の子、父親を「臭い」「うざい」「きしょい」と言い出すというのはよく聞く話。(カウンセラーママの日々つれづれhttp://othpage.blog46.fc2.com/blog-entry-493.html 2007年12月19日)

インターネットから用例を挙げるときも、上のようにそのサイトの名とサイトURL・日時を記すようにしましょう。さて、グーグルの検索結果によると、「きもい」の用例は「きしょい」の十倍以上あります。検索結果は時と場合によって変わるものですが、これだけ差があれば「きもい」のほうが一般的に使われるものであると考えていいでしょう。そこで、「きしょい」は「きもい」より特殊な性格があるのではないかという仮説を立てることができます。それについての考えを書いている所がないか調べて見ると、次のような会話文が見つかりました。

課長 「『きもい』は『気持ち悪い』、『きしょい』は『気色悪い』のことだな?」
ねね 「そうです。それがフシギなことに単に『気持ち悪い』を短くしたのが『きもい』ってゆーわけでもなくて、ビミョーに意味が違うんです。たとえば『きもい』は吐き気がするようなときには使わないんですよ」
課長 「ほ~そう言われれば。なんかこう、『きもい』は見た目が変わってる感じだな。『きしょい』はもっと気持ち悪い感じかな?」
ねね 「そう『きしょい』は、もうサイアクに気持ち悪い感じですね。でもこれが、けなすだけでもないんです。たとえば宇宙人の形をした携帯ストラップなんかを『きしょい~かわい~』って言ったりしますし」
課長 「そうか、『きしょい』は元の『気色悪い』の雰囲気が残っていて、グロテスクなニュアンスがあるんだな」
(日本語の懐 http://www.atok.com/nihongo/vol06.html 2007年12月19日)

これは個人の考えを述べたものですから、これだけでそのまま信用することはできません。しかし、同じような考えを述べた文章が多数あり、それに反するような内容の文章が少ないのであれば、「きしょい」が「きもい」より特殊な性格を持つので、使われることが少ないという考えの根拠にしてもよいでしょう。
このように、論文もしくは二次資料は手がかりであり、研究はあくまで一次資料を中心に行うべきです。(注3)に挙げた論文に「きもい」「きしょい」は「人やモノから不快な気分を感じたときに使う」とありますが、そういう説は手がかりに過ぎません。そこから「人」について使う場合と、「モノ」について使う場合のどちらが多いか、一次資料の中で調べていき、もし「人」について使う場合が多ければ、それはなぜかと考えていくことが自分の研究になるでしょう。また、みなさんの場合は、中国の場合と比較すれば自分の考えが書きやすいので、「めんどうくさい」・「めんどい」・「麻煩」・「煩」の用例をグーグルや百度で調べて、使われ方がどう違うのか調べてみてもいいでしょう。
このように一次資料をもとに、幾つかの問題について考えた後、何らかの結論で全体をまとめることができれば立派な卒業論文になります。でもそれについては、皆さんが実際に書き始めたあと、先生と相談しながら考えていったほうがいいと思います。まず、自分で考えてからでないと、まとめや結論をどうすればよいかなどということは分かりません。ですから、ここでは書き始めるときの基本的な心得を述べることにしました。もう一度、卒業論文は今までのような受け売りの勉強ではなく、研究能力を身に付けるために書くものであることを強調しておきます。人の書いたものをただ写せばいいなどという考えは絶対にしないでください。ところで、2001年から日中友好市民倶楽部という団体が、人民日報などの後援で「日中友好中国大学生日本語科卒業論文コンクール」を開催していますが、この大学からも入賞者が三人出ています。皆さんもそれくらい優れた卒論を書く能力は十分あると思っておりますので、正しい態度で努力してほしいと思います。

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